罪悪感の正体③

食べたいという欲求と、食べることを悪いことだと判断する自分。


その両方があるから、罪悪感なしに食べられるという安心感や慰めを得たいのかもしれないなと
思いました。


昔のことなんですけど
もうへとへとに疲れて晩御飯を作る気力体力もなくて、
スーパーにお惣菜を買いに行ったことがありました。

その頃の私はガチガチに添加物は悪と思っている頃だったので
一つ一つ原材料表示を見ては、「あ~〇〇が入っているからやめよう」「あ~これも入っている」
といっては、手にしたお惣菜を棚に戻し、「それじゃあ、どれなら食べられるんだ、、」と店内をぐるぐるグルグルぐるぐるグルグル回って
結局、材料を買って家で作ることを選んでいました。
で、家に帰って作るんですけど、
疲れているから、作るのがしんどかったからお惣菜を買いに行ったのに
スーパーをぐるぐるして時間を使い、それでさらに疲れてしまい、、私は一体に何をしているんだ、、と
我に返ったことがありました。





今日は疲れている

だから

今日は作りたくない

だから

今日は簡単に済ませたい


そう思った自分自身を

完全に思考で

添加物は悪者という思考で

ねじ伏せたのです。


そして
だいたいこういう時(作りたくないけど作らなきゃと自分に言い聞かせて作った時)っていうのは
子どもが何かやります。

おいしくないって言ったり、お皿がひっくり返ったりして
疲れている中さらにイライラ事が重なって、もう疲れの限界となる
そうなったらリビングの空気がさらに張り詰めてきて、修羅場となるわけです。





そんなことを経験して、
「これって誰のためにもなってない」って思って
何やってるんだ私は、、、
と我に返ってから
ガチガチだった思考を緩めるよう心がけ
今はだいぶん自分の気持ちに素直に従うようになりました。
疲れていて作れないときは買いに行くか、食べに行く。


添加物が、、、
とかは
なにも考えない。

その時食べたいと思ったものを食べる。

とても簡単なことのように思うんですけどね、とても抵抗があったんですその頃は。


そしてそうやっていると
私は年に数回だけ
そんな日がくることがわかってきて

あと、
年に数回だけ
どうしようもなくある食べものが食べたくなる時があって

それに気づけたこともとても面白い発見の一つでした。



それで
結局どういうことが言いたいかというと
食べたいものを思考でねじ伏せないほうが、自分にも周りの人の為にもいいということ。
食べたいものを妥協せずに食べようということです。


食べたいという素直な欲求を
ねじらずに真っ直ぐ受け入れて
いいよー!と自分に言ってあげる

気が済むまで食べることも
結構大切。

食べすぎは良くないと中途半端に止めてしまうと
心に不足感だけが残ってしまい
もっともっと!ってなります。


悪いものを食べているという思考も頭から一旦追い出して
「普段食べたくならないのに食べたいなんて、今、これが自分にこれが必要なんだな」
くらいのおおらかな気持ちでいれたらいいなと思います。

そもそも
悪というのは、ある角度からみた現象のことで、
違う角度から見れば、良いものでありそれが必要な場合もあるからです。


そんな風に心をほぐしていったら
そのうち罪悪感も消えてなくなっていくんじゃないかな、と思ったりしています。



ゆるゆる
しましょうね♫