2021年もありがとうございました。

今年もキセツノネイロをありがとうございました。

今年もたくさんおやつを作りました。

私には荷が重すぎて、プレッシャーに負けそうになって、逃げられるなら逃げたいと本気で思った仕事もありました。
だけど逃げる勇気もなく、プレッシャーと闘いながらやり抜く他なかったんですけど、やり終えてあとは納品するだけの状態になったとき、たまたまご来店中だったお客様から「ここのおやつはなにを食べてもおいしい」と言ってもらいました。

それは私が一番嬉しがる言葉で、
逃げずにやった事へ、ご褒美をもらったような気持ちになりました。

だけど、日々の中で、小さな`逃げ´って結構あるなと思うんです。

やらなきゃいけないことがあるのにどうしてもやりたくなくて、次の日に持ち越したり
右を選んだ方がなにかといいってわかっていても、それには苦手を克服しなくちゃいけなくて、左の道を選んだり
自分は悪くないと思いたくて、人に責任を押しつけたり


瞬間瞬間で、どちらかを決める(選ぶ)場面は意外とたくさんあって、そのなかで、逃げる逃げないの選択も気づかないうちにしていることってあると思うんです。

逃げるって、なんか悪いことのように思うけど、逃げる行為って人が反射的に防衛本能としてもっていることだったりもする。

だから必ずしも逃げる行為は自己否定につながることではないんじゃないかと思うんです。

他人に迷惑がかけるようなら、それは良くないけど、自分の中での逃げは別にいいんじゃないかと。

だって、進みたいと思っても
どうしても進めないんだから
それはもう、しょうがない。

そんなときもある
って
自分を認められたら
それでいいと思うし

どんな選択をするにしても
その選択に
自分自身が胸を張っていれたら
それでいいんじゃないかと思います。

だって
逃げた事を知っているのも、それを責めてくるのも自分。
ずっと自分から責められて、逃げたことへの罪悪感から抜け出せなくてって
しんどいもん。

進めるなら進む
逃げたいなら逃げる


`自分自身に胸を張っていられるかどうか´

これが大切な気がするので

これを自分の真ん中において

来年もやっていきたいなと思います。


来年も健やかでありますように



食べてくれる人がいるから

おやつはおやつとなって

意味をなす

食べてくれる方々あってのキセツノネイロです。


2021年もありがとうございました。

また来年もどうぞよろしくお願いいたします。