親がグータラだと子はよく育つ。
親はある意味グータラな方がいい。
というのは私の持論です。
それは子供をみていて思います。
私が忘れっぽいので、きっと娘は「この人に任せておいたら大変だ」とでも思ってるんでしょうけど、保育園の頃から身の回りのことは一人できっちりやってくれていました。
パンも、元々は「パンが食べたい、パンが食べたい」と毎朝のように言ってくる娘に対して「うちはパン屋さんじゃないから、そんなすぐにパンは出てこない。そんなにパンが食べたいならお金渡すし買ってきて。もしくは自分で作ってみたらどう?」と、パンのことをうるさくいってくるのが単にいやだったので適当に言ったことが始まりとなり娘はパン作りをするようになりました。
下の娘がなにかしていても、『危なくなかったら(死に至ることがなかったら)大丈夫』というわたしのざっくりな子育てが心配なようで上の娘がまるで母のように面倒をみてたりします。娘たちがケンカをしていても仲裁に入ることは滅多になく、「もっとぶつかれぶつかれ!自分の思いを言い合うんだー!」と心の中で笑ってます。
あれ、
今書いてて思ったんですけど
これってただ私がダメな母親だということをさらしてるだけのような内容になってますね(笑)大丈夫かな?
でも、私があれもこれも全部をしてしまったら、娘たちは大人になったとき困るんじゃないかなとかって思うんですよね~。
昔、娘を連れて公園の砂場で遊んでいた時にてんとう虫がいて、そのてんとう虫が砂山を登っていくんですけど、体勢を崩してひっくり返るんです。なんとか元の体勢に戻ってまた登るんですけど、またひっくり返って。それを何度も何度も繰り返しながら登っていくのを見ていたときに、ひっくり返ったときに手を差しのべるのは簡単なことなんだけど、でもこのてんとう虫はちゃんと自分で起き上がれる力を持っていて、手を差しのべるってことはその起き上がろうとする力を邪魔することになる。そう思ったことがあったんです。
今って、なんでもかんでも大人が先回りで教えたりしてて、もちろんそれは子供の事を考えてのことなんですけど、でもそれでは転んだときの起き上がり方とか、失敗した時にどうしたら成功するのかを考える力とか、人と心がぶつかった時の自分の気持ちの整理の仕方とか、迷ったときにどうすればいいのかとか、いろいろいろいろ…人生で必要な事を学ぶ機会を減らしてることになるんじゃないかと思うんです。
つい最近も、私が針仕事をしていると下の娘がやってきて針山で遊ぼうとするんです。「先が尖っているから気をつけて」と伝えたけど本人そんなのに聞く耳持たずで全部の針を外す遊びをしていました。でもやっぱり指を刺してしまい「いたい。。」とポツリ言うと、今度は違うもので遊びだしそれから針を触ることはなくなって、百聞は一見にしかずならぬ、百聞より一度の経験だな~と思ったことがありました。
大切なのは、見守ることなんじゃないかと思います。子どもが本当に困った時やどうしようと迷った時に、手を差しのべてあげられるようになるべく近い距離にいてあげること。でも答えは言わない。ヒントだけを伝えるみたいな。
子どもが1人でいろんなことができるようになるために、大人になったときにしっかりと物事を考えて自分の判断ができるようになるために、これからも私はグータラな母親でいようと思ってます。
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