対応力。
昨日、着物を着ながらふと思ったこと。昨日投稿し忘れてたので。
昔、着物を習いたいと思って選んだ教室は無料で教えてもらえる所。
先生が愉快な方で教室自体はとても楽しかったけど、帯を結ぶ時に専用の補助器具を使用してしか教えてくれないことに少しとまどいがありました。
補助器具は便利だけど、そのやり方しか知らないと器具がないと帯が結べないのでは?
他にもいろいろと、ん??って思うことがあったので、結局個人で有料で教えてくれる教室へと通いなおすことに。
その先生は着物を着ること以外にもいろんなことを教えてくれて
「着物は一枚の布を身にまとうことだから、繋がりを意識すれば、着ているうちに乱れた箇所も直すことができますよ」
「一応小物はここいうのがいいっていう決まりはあるけれど、ないなら他のものでも構わない。絶対これじゃないとダメってことではないからね」
もう10年も前のことだけど、今でも着物を着るとき、先生が教えてくれたことを思い出します。
それで今朝、着物を着ながらふと思った。
専用のもの、便利なものがいろいろ増えてきている
でもその一方で
それがないと何もできない
ということも増えてきていること。
それってどうなんでしょうね。
便利なもの、それに頼りすぎてしまううちに、本来のやり方を忘れてしまっては、もし便利なものがなくなったとき、何もできなくなるのでは?と思ってしまう。
スイッチポンで料理が作れる時代。
自動車運転さえもやってしまおうという時代。
この先どんどん人工知能が優位になれば、頭を使うのは人工知能を造る人達ばかりで、人工知能を使う人はどんどん使わなくなっていく?
便利と引き換えに、「考えること、工夫すること」をやめていくのはよくないように思う。
「専用」は、「独占」と繋がっているし
「便利」は「衰退」と表裏一体。
よく考えないと。
そう思いました。
便利なものに頼りすぎず、なににでも対応できる力もつけていきたい。
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